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倖田來未の「整形せんでもやれる」ってとってもクール!|整形ってどうかと思うよね!?

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「メークで変われる。整形せんでも倖田來未はここまでやれるやと勇気を持ってもらえれば」

倖田來未、デビュー15周年「メークで変われる。整形せんでもやれる」 (サンケイスポーツ

(元記事が消滅したのでリンクを削除しました。)

今朝、この記事を読みました。

話の流れは分からない、ライブに居たわけではないのですが、この言葉はちょっと嬉しく感じました。

 

整形手術ってどうも違和感を覚えます。

顔や表情ってその人その人の生き方や歴史が刻まれているでしょう。

それに親からいただいた、いや先祖からいただいたって考え方もあるし。

 

外見と中身の違う現代社会病

「みてくれ」と「中身」とが異なるのが現代社会の一つの特質だと思っているんだけど、整形手術の存在もその現れの一つだと思っています。

 

以前に韓国を揶揄*1した何かに書いてあったんだけど、親子が全く異なった顔をしているとありました。韓国では整形手術がとても盛んなようですからね。

顔に刻まれた歴史には、自分の血縁も含まれます。それをある意味、抹消しようとする行為であるかのようにも受け取れます。

整形した顔って本当に自分の顔なのかしら!?

少なからず綺麗に見せたい、格好良く見せたいっていう気持ちは男女を問わずあるものだと思います。

でもそれが行き過ぎて、自分が「有るもの」と異なったものに見せようとすると、それは自分ではなくなるのではないかしら。

極端に言えば、「着ぐるみを身に纏った私」になってしまう。

化粧は素地は自分の顔、土台は自分の顔だから、自分の延長線上だと思える。

でも整形は素地、土台である自分の顔に、文字通りメスを入れるもの。

自分の顔を素地として化粧を載せるのと、素地である土台である自分の顔に手を入れるのとは明らかに違いますよね!?

 

*1:[名](スル)からかうこと。なぶること。嘲弄(ちょうろう)。「世相を―する」